『月刊群雛』2016年04月号には、浅野佑暉さんの小説『奏でるということ』が掲載されています。これはどんな作品なんでしょうか? 作品概要・サンプル・著者情報などをご覧ください。
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作品概要
ヒューマノイドと店長が経営する楽器店。デジタル隆盛となった世の中「楽器」を求める人はほんの一握りで、専ら機材の修理などで生計を立てている楽器店に一人の若者が訪れる。ヒューマノイド、店長、若者が出逢った、とある一日の物語。
―― 楽器と人間、ヒューマノイドの物語
奏でるということ
「店長、音楽で魂を揺さぶられるというのはどういう『感覚』なのでしょう」
そう訊いた時の顔は今でもはっきりと思い出せる。目を見開いて「こいつ何言ってるんだ」と顔に書いてあった。
「どういう……って、ライブハウスとかフェスに行くだろ。ステージからお目当てのバンドが出てきて一曲目のイントロが流れた瞬間にこう、爆発的なテンションって感じ……っても『体感』してないから分からんか」
わたしは「音楽に特化した」ヒューマノイドとして生を受けて、今はこの小さな楽器店を店長と二人で切り盛りしている。楽器店、と言ってもこの時代に楽器を買う人はまずいない。音楽はほぼ全てがデジタル化されて、かつて隆盛を極めたレコードやカセットテープといったメディアは専ら趣味人かデジタルに抵抗のある人しか使っていない。大体の人は手のひらサイズの携帯端末から聴きたい時に聴きたい楽曲をダウンロードする。通信網の進化もあって、通信料を気にせずに「デジタル」を愉しめることもメディアが廃れた一因だと店長は教えてくれた。
「はい、確かに音楽は人間の感情に高揚、沈下などの効果をもたらします。そうした『効果』を得たいのであれば『聴く』だけで充分なのでは?」
「違うんだよなあ……。音源化されたものを聴くというのと、アーティストが生で歌う場面を味わうというのは月とスッポンくらい差があるんだ……ってこの例えは分かるよな?」
はい、と返して続きを促す。
「ライブってのは『生き物』なんだよ。マスタリングされた歌声じゃない本物の歌。ギター、ベース、ドラム……。それらが合わさって奏でられる音。加工されていない『生きた音楽』っていうのはとてつもないパワーを秘めてるんだ」
ちょっと待ってろ、と言うなり店長はスクリーンに映像を映しだした。
「今じゃこんな風景も見られなくなった。音源さえあれば満足しちまう連中が増えたからな」
スクリーンに映しだされたのは、大勢の人々が円を描き、飛び跳ねたりする姿。
「このライブっていつの頃だったかなあ……。この歳になると記憶が怪しくなる。まあそれはいいや。で、どう思う……じゃないや、どう感じる?」
店長がスクリーンに映しだした映像は人々が踊り狂ったり、円を描いたり、飛び跳ねたりと人間ではなくさながら猿のようで、理性という二文字が何処かへ忘れ去られているような光景。
「危険ですね。これだけの人数で激しくぶつかり合うと怪我をしますし、死傷者が出る恐れもあります」
わたしからすると、スクリーンに映る人達は狂っているとしか言いようがない。
「確かに危険だ。現に死者が出た例もある。アーティスト側も苦言を呈したことだって一度や二度じゃない。けどな、これはみんな魂を揺さぶられたからなんだ」
「つまり感情の高揚が最高潮に達したが故に皆がそのような行動に出たと?」
そうだ、と頷いて紫煙を吐き出す。
※サンプルはここまでです。
作品情報&著者情報
浅野佑暉(あさの・ゆうき)
―― まず簡単に自己紹介をお願いします
浅野佑暉(あさの・ゆうき)と申します。月刊群雛への参加は2015年12月号以来となります。
◆pixiv
http://pixiv.me/yuxuki_a
◆Twitter
https://twitter.com/yuxuki_a/
◆ウェブサイト
http://yuxuki.jimdo.com/
―― この作品を制作したきっかけを教えてください
以前から温めていたアイデアをこの機会に完成させようと思って書きました。
人間とヒューマノイドが共存した社会では「このような光景もあるのでは」と想像を膨らませました。
―― この作品の制作にあたって影響を受けた作家や作品を教えてください
長谷敏司(はせ・さとし)先生です。私はヒューマノイドなどに「こころ」がある設定で書いているのですが、長谷先生は「道具」として扱っており、対極の存在として影響されたり意識していたりしています。
―― 最後に、読者へ向けて一言お願いします
まだまだ書き始めたばかりの若輩者ですので、率直なご意見を頂けたら幸いです。
浅野佑暉さんの作品が掲載されている『月刊群雛』2016年04月号は、下記のリンク先からお求め下さい。誌面は縦書きです。